地元はいいところだよ
小学5年生の頃に親の転勤で「にかほ市」に来たのち、東京に行きたくて首都圏の大学へ。そのまま就職して、29歳でにかほ市に戻って来ました。現在は2人の娘の父親でもあります。冬支度をするという晴天の日に、子ども時代から今までのお話を佐藤勘六商店の佐藤さんに伺いました。
首都圏では街の規模が自分と合わないことに気づいた
昭和10年に創業し、地元、大竹集落で「大竹いちじく」の加工品や秋田の地酒などを扱っている「佐藤勘六商店」の4代目、佐藤玲さん。一度「にかほ市」を出たからこそ見える良さを実感し、5千人の来場者を集める「いちじくいち」などを仕掛けながら、地域の未来について積極的に動いています。
小学校5年生で「にかほ市」にやってきた佐藤さん。子どもの頃の思い出は、帰りのスクールバスで約束して遊んだ「リレー」。当時の佐藤さんは、あまり運動に自信がもてなく、こちらに来て周りの子どもたちの足の速さに驚いたとか。一緒になって「リレー」で遊び、中学時代にきつい坂道を自転車で通学しているうちに、だんだん運動能力が上がってきたそう。その後、大学進学時に「すべては東京にしかない」との思いから、上京しました。当時の両親の反応は、お店を継いでほしいというものではなく、「いつかは戻って来てほしいけど好きにしなさい」だったそうです。
そのまま首都圏で就職して数年暮らしていたころ、違和感を感じ始めました。もともと自分で商売をしたいと思っていたけど、首都圏は自分には規模が大きすぎる。このまま家は賃貸なのか? お墓はどうするのか? などと今後を考えたときに、人との触れ合いの少なさなど、嫌なところばかりが見えてしまったとか。29歳で「にかほ市」に帰り、1年やって自分の店もダメだなと思ったら首都圏に戻ろうと思っていました、と佐藤さん。当時のお店では1年では直しきれない課題をたくさん見つけ、首都圏には戻れなくなりました。
一度出たからこそうまれた地元への想い
こちらに戻ってくるころはちょうどネット販売が始まったころで、自分もいちじくをネットで販売しようと思っていました。ただ、そもそもそれ以前の課題が見つかり、そこからずっとトライ&エラーを繰り返しています。ここの周りでいちじくをつくっている方たちに話しを聞いてもらうことにも数年かかりました。
小さい頃から知っているおじさん、おばさんなのに、戻って来た若造が能書きたれても誰も聞いてくれなくて。そこから「普請(ボランティア活動の呼び名)」や消防団、祭りなど地域活動を通して信頼を積み重ねていきました。そうすると、酒の席で「そういえば数年前に戻って来たけど、向こうでは何やっていたんだ?」とか聞いてくれるようになりました。結局、自分から入っていかないと、都市部も田舎も変わらないですよね。そしてお店の方では、いちじくの商品のパッケージを変えたり、商品選定を変えたりと自分でやれることはやり尽くしました。そのあと日本酒を地酒に絞るなど、お酒にも力を入れました。
そうすると、日本酒を通して学んだことがいちじくに役立ったり、日本酒を通して広がった出会いから、「いちじくいち」につながり、初回から5千人を呼ぶ大盛況のイベントとなりました。当初はスーパーの軒先などで販売を考えていた佐藤さんや大竹集落の農家さんたちもこの反響には本当に驚いたとのこと。数年が経ち、まだ周囲の戸惑いも感じながら、新しい風が入ったことで地域が変わって来ていることを実感しているそうです。でも佐藤さんの視線は集落の未来だけでなく、にかほ市全体に向いています。その思いの源は、「郷土愛」。まわりからもう戻ってこないと思われていた中、「にかほ市」に戻って来たからこそ、うまれたものです。
フラットに見て探せば「何もないところ」じゃなくなる
大学進学時、東京に行きたくて「にかほ市」を出た佐藤さんですが、外に出て戻ったからこそ、当時は気づかなかった良さがあると言います。「1つはやっぱり鳥海山。そしてもう1つはみんな知り合いで、歩いていると『おはよう』」となるところかな。だからこそのめんどくさいこともありますけど」と笑っていました。
よくみんなは「にかほ市には何もない」と言うけど、探せばあるし、そもそも都市部にいても動かないと何もない。やることはどこにいても同じで、自分もそれを勘違いしていました。一回フラットに「にかほ市」を見てほしいし、その上で地元にいる人も、地元を出た人にも堂々と「地元はいいところだよと言ってほしいなと思います」と、佐藤さん。昨年から、いちじくいちに地元の高校生を巻き込むことを始めました。一緒に作業をしながら雑談する中で、佐藤さんが一度出ていたことなどを話すと、学生たちはとても驚くそうです。学生の頃から想いを持って動いていた人だと思っていたと。きっとそうやって話をしていく中で、佐藤さんの気持ちの変化や想いなどが伝わっていくのだと思います。
今後は、全然関係ないことをしている人たちもどんどん巻き込んで、「いちじく」を一つの軸として市を盛り上げていきたいとのことでした。最後に聞いた、「あとで地元の良さに気づいてくれると思う」という今は中学生と小学生の佐藤さんの娘さんたちに向けた言葉に、佐藤さんの想いが込められていました。