ユキはなぜ冷たいか
子どものときのように「なぜ?」という気持ちを持つことの大切さ。
幼い頃は、何でも疑問に感じていた。雪はなぜ冷たいのか、空はどうして青いのか、無意識に呼吸できるのはなぜだろう、など。けれど、大人になり、さまざまな人生経験を積み重ねていくと、どんな疑問に対しても「そういうものだから」というちょっと諦めを含んだ答えで納得してしまっている自分がいる気がする。
いつからか僕たちは、疑問を抱かなくなっている。
そもそも、疑問を持つということは、もっと知りたいという興味から、答えを得ようとすること。人は子どもから大人になると、新たな知識を吸収することが億劫になってくるけれど、それは日常において疑問を持つ機会が単純に減るからかもしれない。 知っていることが知らないことを上回ったから、と言う人もいるかもしれないが、僕たちが人生で理解できることなんて世の中の事象の1000億分の1にも満たないんじゃないかと思う。
ふと訪れた上郷の温水路群で、海を見て、丘を見て、山を見て、僕はどこか気分が高揚するのを感じ、ものすごく久々に、山はどうやってできるのか、水はなぜ下に流れるのか、など子どもの頃のような疑問が沢山湧いてきた。
豊かな自然に触れたり、その中で暮らしたりすることは、ただ空気が新鮮とかそういうことだけではなく、生の根源に関わるような何かが研ぎ澄まされることだったり、好奇心が五感にくすぐられることなのかもしれない。そして、そういう時間を過ごすことで、自分自身の感受性がより高まるような気分になる。よく散歩したり、風に当たりに行く、という人も、もしかしたら同じ感覚なのかもしれない。
雪が冷たいのは、氷が水になるとき周りから熱を奪うから。
次は、向かいの席のユキさんが、最近そっけない疑問にも対峙しようと決心した冬の昼休みの頭の中。