猫は何でも知っている

悩みがあるとき、子どもの頃であれば、両親、友人、先生などに気軽に話すことができ、アドバイスをもらったり、周囲への声かけなどで解決への糸口が見えたかもしれない。でも、悩みというのもは、どんどん根が深いものになっていく。いずれ誰にも話すことができなくなることもある。それが大人になるということの、ひとつなのかもしれない。

やはり大人になっての悩みの多くは仕事に関することだ。仕事をするには責任が伴う。その責任を負うには、労苦が伴う。わたしは仕事で大きな悩みが生じると、急いで仕事に取りかからないとと思う反面、仕事場から遠ざかった場所に行き、時間を掛けて内なる自分と対話をすることがある。

まだ駆け出しだった頃、大好きなとあるトイメーカーに恐れ多くもアポなし直談判に行き、ひとつのプロジェクトを手掛けることになった。やる気はある。でも、熱意と実績は比例しない。明らかに経験不足であり、プロジェクトは滞り、焦りだけが募った。そのときわたしは、仕事場に帰れなくなり、町をさまよった。そして野良猫を見つけた。そして、その野良猫と公園で時間を潰し、自問自答をした。かなりの時間はかかったものの、突破口らしきものと死ぬ気で仕上げるという決意を新たにし、どうにか仕事場へと戻ることができた。

猫に連れられて、どこかすごい場所にいったわけじゃないけれど、心がリフレッシュされたのは事実だ。

そして、にかほの海沿いで、かわいい猫に出会った。猫が座っていた場所に座ってみる。風がこなくて暖かい。猫が眺めていた風景を見てみる。海が見渡せてとても美しい。猫が腰を落ち着ける場所には理由がある。疲れたときは、猫に安らぎ方を習うといいのかもしれない。